此社は、中古まで大豆田村この地に在りし頃、産土神となせしを、大豆田村今の處に移れるとき、村民九郎兵衛毎朝金澤へ野菜を運びける故に、近江町の野兵衛といふ者と謀り、彼の市姫神を同町接待橋の橋爪に勤請して、市場の守護神となせるにて、寛永十六年卯辰山観音院の境内移せり」との趣を載せたれど、社記には、その移轉せるを元和九年八月となせり。然れど、三州志などには、慶長十五年總構を作れるとき、廓内の神社寺院を廓外へ移轉せしめたることを載せたれば、本社を卯辰山へ移せるは、恐らく慶長十五年の頃なるべしといふ。
明治五年十一月、村社に列せられ、十二月今の處に社地を卜して復座し、六月十七日遷宮式を行ひたり。
本社の秋季祭禮には、上近江町及び下近江町の道路の上、兩側の人家に跨りて、幅約四間、高二間の大行燈を掛け、夜間これに點燈し、その兩面には、必ず演劇の一齣を描くを例とす。近江町の大行燈と呼びて、古より名あり。その濫觴は詳ならざれど、二百年許以前より行はれ、初め手木組の中に畫を能くする林大夫といへるがこれを描き、後浮世繪師の景榮・華亭・慶之助・恒信・芦雪等これを描き、現今如春の手に成る。 |