起源は、聖武天皇神亀4年(727)猿田彦大神を、既に鎮座されていた神明社(祭神・天照大神)の傍に勧請したのが始まりといわれている。この神明社の創設は不詳であるが、あらたに猿田彦大神を天照大神と合祀されてより、この社を大野郷(旧宮腰・現在の金石町)の湊の守護神として、大野湊神社と称されるようになった。後深草天皇建長4年(1252)社殿炎上により、東八丁をへだてた離宮八幡宮(現在地)に奉遷され今日に至る。
歴代朝廷、武将の尊崇篤く、特に加賀藩主前田利家公は任国の際、本陣となったこの社の荒廃を憂い、宮腰をはじめ十五ヶ村にその総社として祭資を供進させて社殿を再興。二代前田利長公は毎年の神事能興行の例をつくり、また三代前田利常公は、寛永16年(1639)社殿を造営し、氏子村を増加させるなど、歴代藩主の崇敬きわめて篤く加賀藩五社の筆頭の位置にあった。慶長9年に創始された「神事能」は、加賀藩の2代藩主、前田利長が合戦に勝利したお礼に能を奉納したのが始まりとされ、金沢市の無形民俗文化財に指定されており、毎年5月15日に行われます。 |