北陸からの情報通信トップイメージ

| 北陸からの情報通信トップページ | 金沢市の社寺トップページ |

諏訪神社
すわじんじゃ
 
921-8033 石川県金沢市寺町5丁目2−41
MAP

祭神
建御名方神 誉田別命

 
 

発祥は、 室町時代の初期、 正長(しょうちょう)二年に当時の豪族、富樫氏の周遊の地、泉野領桜畠で 同氏の起請によって創建された『八幡宮』に起源する。 加賀藩主前田利常公の時代に信州・諏訪の神 (鷹の守護神)を鷹匠頭、野村宗順(食録二千石・寛永元年没)大平右京らが勧請併祀して、鷹の祈祷を 修めたと貞享二年の由来書に載せられている。
社名は、明治初年ごろまで『諏訪八幡宮』と一般に呼ばれていた。
月 拝 祭
この特殊神事は毎年旧暦の七月二十六日夜(新暦ではおおよそ、八月二十日頃より九月十日ごろ)あらかじめ神社裏庭に設けられた斎場で、月の出の時刻に合わせて(午前一時二十分ごろ、つまり二十七日)祭典を執り行う。
先ず時刻になると卯辰山東端の峰のあたり一帯がわずかに明るくなり、暫くすると山の端から一つの光芒が流星のごとく立ちのぼり、やがて又一つの光が立ち昇る。すなわち三度に亘って光が立ち、それが合体して下弦の月が現れるので『三光』と称される所以となったといわれている。神仏習合の時代には、淨闇の斎場前に多くの民衆が土下座をして三光(三尊仏の御来迎とも言い伝えられる)の月の出を待ちわび下弦の月を拝したことは今にしてうなづける。その後、いつの間にか酒食を摂って月待ちをするようになり、中には西郭あたりから芸妓を連れてくる者さえあって、頗る賑わったと伝えられまた時には神社境内で月待ち群衆のために、氏子同士の吹寄や芸人を呼んでの催し物をして、初秋の夜更けを過ごしたと神社の記録にある。近年は盆踊り大会などをして有志が社務所にたむろし、神社では笹餅や赤飯を神前に捧げたのち月待ち人にこれを頒ち与えることを慣例としている
 

| 北陸からの情報通信トップページ | 金沢市の社寺トップページ |